冬の三河、竹島と岡崎城

三河の名城、岡崎城。
すなわち、徳川家康のふるさとたる城ですね。天守はいったん破却されましたが、昭和になって再建されました。
家康はこの城で産まれましたが、やがて織田ついで今川の人質になり、少年から青春時代を過ごします。
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1560年、今川義元が桶狭間で破れた際に、岡崎城を取り戻し独立。
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その後、嫡男の信康、次いで譜代の家臣が入城。
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家康が関東に国替えになると、豊臣系大名の田中吉政が入り、城や城下町を拡張。東海道を岡崎の街の中心を通るようにルート変更も実施。いまでも、国道1号線は岡崎城のすぐそばを走っています。
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家康の天下統一後は、名誉ある城として、譜代重臣が城主を務めました。
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こちらは併設の資料館。
動く関ヶ原の展示は、なかなか見応えがありました。ウォーランドにもこれを置いてあげたい。

さて、城の近くに、徳川家の菩提寺である「大樹寺」があります。
桶狭間の戦いでは今川方であった家康(当時は松平元康)は、大将の今川義元が討たれたことで敗走するはめとなり、先祖の墓がある大樹寺へと逃走。もはやこれまでと、墓前で自害しようとしたところ、住職に「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど、ごんぐじょうど)、あなたが自らの力で平和な世の中をつくりなさい」と説得されます。思いとどまった家康は、ここから人生再スタート。まず岡崎城を取り戻し、天下統一への道を進んで行くこととなりました。そして家康の旗印は、この「厭離穢土 欣求浄土」の八文字となります。
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なお、大樹寺の山門からは遠くに岡崎城の天守がみえます。岡崎市ではこれをビスタラインと呼んでおり、この眺望をさえぎる建築物は建てないルールとなっています。