快晴の松本城。
この均整のとれた姿、個人的に大好きな天守のひとつです。
赤い欄干の月見櫓が、とてもいいアクセントになっています。
江戸時代から残っている天守は12あります。
そのうち松本城を含む4天守が国宝に指定されています。
こちらは、本丸広場側からみた姿。
姫路城や名古屋城のような真っ白な漆喰総塗籠の天守もいいですが、武骨さと秀麗さが同居する黒い板張りの天守も魅力的です。熊本城や松江城などなど。
天守から月見櫓を。
松本城は、石川数正による築城。
数正は、家康に古くから仕える側近中の側近のひとり。
しかし、小牧・長久手の戦いの後、ライバルである秀吉に仕えるようになります。
家康側を離れた理由は諸説あって、はっきり分かっていません。
秀吉の全国平定後、家康が関東に移封されると、数正は抑えとして信州松本の地を任されることになり、この秀麗な天守を築きました。
二代目の石川康長は、また一転、関ヶ原の戦いでは家康側に戻ります。
このため、松本はそのまま安堵。
しかし、結局は取りつぶしとなり、以後は譜代・親藩の治めるところに。
月見櫓は、後に松平家の時代に、将軍家光を城に迎えるにあたって増築したもの。
石川数正が築いた戦の城に、風流のための月見櫓が合わさったことで、この天守はいっそうの魅力を増したと思います。