夏の会津たび。
晴天に恵まれた週末、いつもの行動範囲から少し足を伸ばして会津地方へ。
初日は会津若松周辺、翌日は裏磐梯を巡りました。
鶴ヶ城
東北の名城、会津若松城です。別名、鶴ヶ城とも呼ばれています。
中世には黒川城と呼ばれていましたが、秀吉の天下統一時に蒲生氏郷が入封し、町の名を若松と改めるとともに、城郭を大規模に整備しました。
その後、いくつかの城主の入れ替わりを経て、寛永20年(1643年)に保科正之が入ります。
保科正之は、三代将軍徳川家光の弟にあたり、幕政においても活躍した人物。
正之を祖とする会津松平家は、このまま幕末まで存続しました。
幕末の混乱期においては、京都守護職という火中の栗を拾うこととなった会津藩。
幕府側の中心的な勢力として、戊辰戦争では新政府側に徹底的に攻撃され、この城下も激戦地となります。
しかしながら善戦及ばす、物量に勝る新政府軍の前に、会津藩は降伏を余儀なくされました。
戊辰戦争は、この後さらに北へ戦線を移し、最終的に北海道の箱館(函館)で終結を迎えることになります。
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